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第2回 明治時代の新聞に見る八百長 〈2〉

 《1910年(明治43年)6月14日朝日新聞》

角觝評話(十日目)猪口才なる八百長

 二段目や十両取の分際にて、星勘定の結果、猪口才なる八百長政略は、小腹の立つこと夥多し、二段目や十両取は邁進敢行の勇無かるべからず、徒らに星を計算し、昇級進歩を土台にして、角力を取るべき時にあらず、たヾ猪勇を振つて突進し、遮二無二敵を殪すに腐心すべき也、彼等の目的は星にあらず、進級にあらず、たヾ相手を打倒すにあり、而して星を取り進級するは第二の事柄なり、若武者の戦場に臨むは千貫万貫の賞禄を目的とするものにあらず、花々しき一戦して、名ある武士の首級を得んが為め也、角觝道の若武者たる二段目十両の力士も此心掛なかるべからず、小錦、荒岩、梅ケ谷、常陸山等名力士の売出し時代を見よ、勝負は別問題として立合を重んじ、只偏に花々しき働きを為さんと期せり、然るに今の新進等は星の計算に頭を使ひて、八日、九日、十日頃となれば、所謂帳場相撲を取る事、一見嘔吐を催さしむ、有望力士槙ノ島と浦ノ浜との立合に、此八百長を見るに至りしは、彼等の前後思ふに付けて、転た憤慨に堪へざるものあり、槙も浦も共に新進の若武者、今よりして勘定相撲の八百長は猪口才といはずしてそも何ぞ、今日は力士よりも見物が見巧者となって、土俵ギハのジワ/\投げ、同体の丸預(づぶ)位は先様御承知の次第也、人をツケ馬鹿にすべからず


負無しとは無意味也

 力士が議論家となりて、溜の苦情が帝国議会の名論卓説よりも更に事面倒なるに至つては、木戸銭を払つて見物する好角家は、お情けで入れてもらふ傍聴人よりも一層惨めの事也、溜の苦情も程度問題也、屁理屈をこねかへして、お客様を悩ます程に、強情を張るべき理由無し、四本柱の検査役と行司との見解に依つて、夫に道理あるものとせば、いヽ加減に承服するが男ならずや、今日の土俵に近江富士と明石龍との一番、近江の上手投げを明石下手に打ち返して、充分勝利の相撲なるに、東溜の大ノ川が苦情に依て、約四十分位の時間を空費せり、当時は検査役も行司も、西の勝ち星を認めしを、大ノの強情に依つて、結局西方の星、東方負無しと極まる、そも/\負無しといふ理屈が、勝負を主眼とする相撲道に存在すべき道理か、半星を協会が持出すとなれば、東方は協会を言負かしたる事となる、相撲が議論で勝つたりとてそも何の誉かある、馬鹿もこれ程に増長すれば世話なし也、畢竟優勝旗などいふ厄介者あつて、星勘定をする為めに、無学極まる力士等が、非論理の理屈をさへ主張するなり、今日大ノの駄苦情は吾人甚だ之を憎む

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