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第5回 曙と出島は好対照。親方になれなかった横綱

 前項『相場があって相場がない年寄株の売買で述べたように、故・大鳴戸親方(元関脇・高鐵山孝之進)は、現役時代に年寄株を武蔵側親方(元横綱三重ノ海)に3億円で売却した。

 では、武蔵側親方は買った「大鳴戸」株を、その後どうしたのだろうか?

 この株が売買された後の1999年は、武蔵川部屋の大繁盛の年であったことを思い出すファンは多いと思う。まず、万年大関としか思えなかった武蔵丸が、横綱・曙の休場と若貴兄弟の不調によって、トコロテン式に横綱になっている。続いて、出島の初優勝、大関昇進があった。さらに、万年大関候補・武双山の復活と、新入幕・雅山の快進撃も、この年の出来事である。

 となれば当然、武蔵川親方は大喜びしていいが、角界の行動原理が年寄株であることを考えると、親方としては喜んでいるばかりにはいかない。というのは、弟子思いの親方なら、幕内のこの4力士にいつか年寄株を与えなければならないからだ。親方はさっそく行動に出た。それは、この年の秋場所直前のことである。なんと大関昇進を決めた出島に、それまで武双山が持っていた「大鳴戸」株が譲渡されたのである。

 つまり、かつて武蔵川親方が3億円で買った「大鳴戸」株は弟子の武双山にいったん譲られ、ここで出島に譲られたというわけである。

 案の定というか、新大関・出島は、秋場所の初日を黒星スタート、その後も新大関としてパッとしない成績で終わった。この不調の原因を、年寄株を取得して安心してしまったと、あえて言ってもかまわないだろう。

 ガチンコで通したされる出島は、その後、なんとか大関にとどまったが、ガチンコ力士の宿命かケガに悩まされた。そして、2001年7月場所で2場所連続で負け越して大関を陥落。平幕で8年間も相撲を続けた。この間、白鵬も朝青龍も破っている。大関陥落後、これほど長く相撲を取った力士は珍しい。もちろん、引退後は年寄・大鳴戸を襲名し、武蔵川部屋(2010年9月30日に藤島部屋に名称変更)の部屋付きの親方として、いまも後進の指導に当たっている。

 さて、この出島と対照的なのが、当時横綱だった曙だ。

 曙は、師匠の東関親方(元・高見山)と犬猿の仲だったため、年寄株継承ができなかったのである。年寄株というのは、ゆずってくれる(売ってくれる)人間がいなければ、手に入れようがない。

 だから、曙は、現役中は注射をしてでも大横綱になろうと懸命だった。

 大横綱となるには、少なくとも優勝10回は必要だ。1993年に横綱になった曙は、巨体ゆえに故障も多く、1999年までの優勝回数は9回にとどまっていた。それが、2000年には2度の復活優勝を果たし、翌年引退している。この引退時、相撲協会から「若・貴とともに相撲人気を高めた功労者」として、功労金1億円が贈られたのは、有名なエピソードである。

 つまり、力士の将来というのは、協会に残るなら売りや貸しに出ている年寄株を手に入れか、引退するかの2通りしかない。引退するなら、その引退の価値を高めるしかないということになる。曙の場合は、横綱だったために、しゃにむにやったということだ。曙はハワイの両親に仕送りを欠かさなかったことで有名だ。とくに、勝ち越しによって増額された分の給金は、まるごと送金していたという。

 このように、年寄株の問題は、現役力士の土俵にも大きくかかわってくるのは言うまでもない。年寄株を持つ。そして、相撲部屋を経営する。これが、引退力士たちの未来絵図の理想とすれば、注射相撲もそのためのプロセスである。

 八百長問題の根源には、このように、年寄株の取得をめぐる争いや確執があるのだ。

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