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HOME > 注射名勝負集 > File - 11 2001年5月場所 貴乃花の優勝は武蔵丸の人情相撲

File - 11 《2001年5月場所 貴乃花の優勝は武蔵丸の人情相撲》

横綱・貴乃花はガチンコを貫いたために、故障することが多かった。それでも、執念で復活して横綱を守り続けたが、年々、明らかに体力は落ち、技の切れもなくなっていった。2001年5月場所は、そんな貴乃花の最後の優勝場所となった。

 この場所、貴乃花は初日から13連勝して完全無敵の強さだった。しかし、14日目の武双山戦で、土俵際で巻き落としを喰らって右膝半月板を損傷する大けがを負った。二子山親方ら関係者は、休場を勧めたが、貴乃花は聞かず、翌日の千秋楽に強行出場。結びの一番では、右足を引きずり、武蔵丸にあっけなく負けてしまった。
2001貴乃花vs武蔵丸.tiff
 しかし、優勝決定戦では、大方の予想を覆し、武蔵丸を豪快な上手投げで破った。このとき、当時の首相・小泉純一郎は表彰式で「痛みに耐えてよく頑張った! 感動した! おめでとう!」と貴乃花を賞賛したのは、日本人なら誰もが覚えている感動的なシーンである。

 まさに相撲史に語り継がれる大一番だが、なぜ、あのとき、武蔵丸はなぜ負けたのか?

 落語に相撲を題材にした『佐野山』というのがある。これは、大横綱の谷風梶之助が、小兵ながら人気のあった佐野山と千秋楽でぶつかって、わざと負けるとう話だ。佐野山は、母親が大病を患い、看病疲れと金欠で、毎日水しか飲まずに、初日から9連敗していた。当時は10日目が千秋楽で、このままだと1勝もできない。そこで、谷風が勇み足で負けた。

 これを江戸っ子は「人情相撲」として、喜んだ。

 この場所の貴乃花の優勝は、まさに、この人情相撲だった。人情をかけたのは、もちろん武蔵丸である。時の首相まで来ている千秋楽の舞台で、ハワイ出身の武蔵丸が、満身創痍の人気横綱に実力勝ちすればどうなるか、武蔵丸はよくわきまえていたといっていいだろう。

 八百長というのは、片方だけでも成立する。だから、相手の家族が応援に来ていたり、あるいは、相手の事情が差し迫っていたりしたときは、転ぶのが人情というものだ。

注射名勝負、平成13年夏場所・千秋楽、貴乃花 vs 武蔵丸

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