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File - 13 《2009年1月場所 朝青龍、引退危機を乗り越え復活優勝》

注射名勝負集13.tiff 第68代横綱・朝青龍の本名は、ドルゴルスレンギーン・ダグワドルジ。その四股名の由来は、高校在学時に世話になったという高知県土佐市の青龍寺で、また、「明徳」という名前は出身校である明徳義塾高等学校にちなんで名づけられた。2001年1月場所に新入幕し、翌年7月にモンゴル出身の力士として初めて大関に昇進し、同年11月場所、翌年1月場所に連続優勝して横綱に昇進した。

 その後、6連覇を達成するなど大横綱の名をほしいままにしたが、2007年の偽休養事件(モンゴルでサッカーをしていたのが発覚)などの不祥事と故障、休養で、力は急速に衰えていった。2008年の9月場所では中日までに、雅山、安美錦、豊ノ島のガチンコ勢に敗退、9日目までの5勝4敗という成績を受け、武蔵川理事長は休場を勧告し、10日目から休場した。その後の11月場所も休場したため、2009年の1月場所は、進退を賭ける休養明けとなった。

 場所前、マスコミは進退問題をこぞって取り上げた。「稽古は不十分」「力の衰えを感じる」と、優勝を予想するような記事はいっさいなかった。それもそのはず、場所前の横綱審議委員会稽古総見では調子が良くなく、委員の口からも引退が囁かれた。

 しかし、初日からなんと14連勝。千秋楽では本割の一番は立ち合いを失敗して白鵬に敗れたものの、優勝決定戦では本割と一転して厳しい攻めで白鵬を寄り切りで下し、貴乃花を抜き歴代単独4位となる通算23回目の優勝を果たした。

 角界関係者が言う。

 「このときの朝青龍は、初日から派手に動きました。星を買いまくり、初めから優勝を狙いにいったのです。千秋楽の本割りと優勝決定戦はもちろん、白鵬との間に話がついていました」

 休養明けに優勝するのは、まさに千代の富士パターンの継承である。

 ちなみに、朝青龍のような注射横綱は、ガチンコ力士にはいい星は残していない。つまり、朝青龍が優勝する場合は、これらの力士と対戦がないか、あるいは不調のときだった。以下が朝青龍が苦手とした主な力士。

[朝青龍が苦手とした主な力士]

  • 栃東   15勝10敗
  • 安美錦  17勝6敗
  • 若の里  19勝10敗
  • 稀勢の里 13勝4敗

注射名勝負、平成21年初場所・千秋楽、朝青龍 vs 白鵬 《本割》
(投稿した方が国技館にて自分で撮影した映像みたいです)

注射名勝負、平成21年初場所・千秋楽、朝青龍 vs 白鵬 《優勝決定戦》
(同じく、投稿した方が国技館にて自分で撮影した映像みたいです)

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