File - 2 《1963年9月場所 4場所連続休場の柏戸「涙の優勝」》
昭和30年代後半(1960年代前半)に、大相撲は「柏鵬時代」を迎えた。その「柏鵬時代」のなかで、もっとも盛り上がったのが、2人が全勝で対決した1963年(昭和38年)9月22日、秋場所の千秋楽だった。
2人が全勝で千秋楽を迎えるのはこれが初めてなら、柏戸はその前の4場所を連続休場していた。「大鵬絶対有利!」戦前は、誰もがそう思った。しかし、この大相撲は、柏戸の一気の寄り切りで決まってしまった。
当時の新聞はこれを「ミラクル」と書き立てた。優勝決定後の柏戸は涙、涙で、インタビューにひと言も答えられなかったという。
しかし、この一番は、大鵬が転ぶことで事前に話がついていた。柏戸も復帰場所とあって、千秋楽前までに多くの星を買っていたので、意地でも譲れなかった。大横綱・大鵬は、その前年から6場所連続優勝という大記録をつくっていて、もう横綱としての名誉と金も十分手に入れていた。あとは、ライバルの柏戸が健在でいてくれれば、さらに自分の人気も高まると判断したのだった。
この一番を「八百長」と見破った石原慎太郎氏が、そのことを新聞に寄稿したのは有名な話である。
ちなみに、大鵬の通算優勝回数は史上最高の32回だが、「柏鵬時代」と呼ばれたのにもかかわらず、柏戸は、驚くべきことにたった5回しか優勝していない。
注射名勝負、昭和38年9月場所《4場所連続休養の柏戸「涙の優勝」》は、4分30秒あたりからです。