第7回 いくら改革しても元の木阿弥に戻る「年寄株問題」
現在(2011年6月時点)のところ、年寄株は、財産権として裁判所でも認められている。売り買いは法的には問題はない。だから、いまでもこの問題は続いており、解決される見通しは見えてこない。
もちろん、「そもそも改革する必要があるのか」「文科省から口出しされるくらいなら、公益法人化などどうでもいい」「これはわれわれの生活権の問題」と、改革に反対する親方も多い。
2011年2月の八百長問題発覚で、「ガバナンスの整備に関する独立委員会」が、年寄株問題に踏み込んだが、そこでもいちばん問題になったのは、親方たちに、年寄株によって収入が保証されていることだった。
年寄名跡を収得すれば、65歳の定年まで、事実上1000万円以上の年収が保証されるので、年寄株はこれまで億単位で売買されてきた。これを透明化しなければ、八百長もなくならない。そこで、売買を認めている現在の状況を改善し、売買の禁止を打ち出し、さらに収得プロセスの透明化をはかるような答申案が出された。
そこで、もう一度、これまでの改革の動きをふりかってみよう。
前回の1998年の改革案には、年寄株を得られる資格がありながらそれができず、しかし親方として協会には残りたい元関取を救済するための措置がとられた。ひらたく言うと、この救済措置のために、「準年寄」という制度が導入された。
当時の改革案のポイントは、
- 同日の時点で年寄株を借りている者や複数所有している者に対しては以後5年間だけ現状の維持を認めたこと。
- 年寄株の取得資格を、これまでの「幕内全勤1場所以上・十両で連続25場所以上・通算で30場所以上、のいずれか」から「三役1場所以上・幕内で20場所以上・幕内十両通算で30場所以上、のいずれか」と厳しくしたこと。
- それまで「横綱5年」のみが認められていた期間限定の現役名年寄に、「大関3年」と「関脇以下2年」を追加したこと。
だった。
ただし「関脇以下2年」の年寄について、定員10名、役員選挙での投票権は与えないなど、いくつかの制約を設けて差別化した。これが「準年寄」制度だ。
しかし、この新制度も実際は機能せず、年寄株の貸し借りは行われた。それも当然で、2年という短い期限内に年寄株を取得するなどというのは、株が足りない状況では至難の業だったからだ。その結果、期間満了が迫った準年寄は軒並み所有者から名跡を借り受けて年寄を襲名してしまった。また、協会に届けられた所有者と実際の所有者が違う「名義貸し」も復活してしまった。
このため、貸借禁止は2002年に解除され、さらに、2006年12月には、準年寄制度も廃止されてしまったのである。
結局、巡り巡って元の木阿弥。相撲協会が、すべて元力士(年寄)によって運営されるという状態は変わっていない。これを閉鎖的と指摘する声は強いが、いまのところ名案はないようだ。独立委の案にしても、年寄名跡という制度そのものを解体しないかぎり、またうやむやになるのは確実と思われる。
要するに、年寄株は大相撲の伝統と表裏一体で、これをいじくりまわして、協会自体を透明な組織にし、ほかのスポーツ団体と同じようにしてしまえば、おそらく、相撲そのものが成り立たなくなるだろう。「ごっつあんです」という大相撲の世界に、そもそもフェアかアンフェアかという正義と、透明性などを求めるのは、はなから無理なのである。
正義も透明性もない、不可思議でおもしろい競技でなければ、相撲の価値はない。