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八百長力士・春日錦(竹縄親方)の意外な一面
恵那司に中盆役をさせていたという春日錦(竹縄親方)は、力士としては利口な一人だ。
春日錦は、以前から注射力士として有名で、たとえば、『週刊現代』が2008年秋に掲載した元前頭の若ノ鵬の告白インタビューでも名前が出てくる。
若ノ鵬は2007年の夏巡業のとき、支度部屋で春日錦から「俺、いま調子が悪いんだよ。どうしても幕に残りたい。だから、転んで」と言われたという。
「転ぶ」とはわざと負けてくれていうこと。当然、お金が支払われるか、支払われない場合は、次の場所で星が返ってくる。若ノ鵬はこのとき初めて相撲が八百長だと知ってショックを受けたという。
春日錦は、千葉県夷隅郡岬町(現在のいすみ市)出身である。実家は料理店で、その次男として育った春日錦は、中学校卒業後に春日野部屋へ入門。入門後は苦労を重ねて、約8年で十両に昇進した。その後は、なんとか十両に定着し、2004年には前頭5枚目まで行った。
しかし、実力的にはここが限界で、その後は十両と前頭を上下する力士として、相撲界で生きてきた。
この間、ファンの間では、「温厚ないいお相撲さん」として知られ、ファンサービスも積極的に行ってきた。
ただ彼がほかの力士と違っていたのは、若ノ鵬も証言しているように「支度部屋で、ほかの力士相手に、帯とか、雪駄とか、はかまに付ける飾りとか、そういうものを売っている」ことだった。
彼は実家が料理店のせいか、相撲を一種のビジネスと捉えている面があった。だから、注射にはなんの疑いも持たなかったようだ。伝統的な相撲界のシステムを素直に受け入れて、それに励んだだけという。
角界関係者に言わせると、春日錦は「注射力士の典型で、注射力士というのは実力は並の場合が多いから、一度注射を始めると止められなくなる。春日錦の場合、実力は十両級ですから、それで必死に番付を維持してきたわけです。しかし、昨年の野球賭博で謹慎させられた後は、さすがにあとがなくなったんだと思いますよ」ということらしい。
(2011年2月10日記)