File - 4 《1972年3月場所13日目 前の山vs琴桜戦に警告》
このころから、千秋楽に7勝7敗力士が決まって勝ち越すのを、「おかしい」という声が上がるようになった。
そこで相撲協会は、八百長という言葉を避けて、「故意による無気力相撲」という言葉を創作し、注射を取り締まろうと、無気力相撲監察委員会というのをつくった。監察委員が本場所の相撲を常時監察することにし、無気力相撲と判断した取組があった場合は理事会で除名、引退勧告、出場停止、給与減額、けん責の懲罰を科すことができるものとした。
そうして迎えた1972年の3月場所、 1月場所を休場した大関・前の山は、この3月場所でカド番を迎えていた。しかし、苦戦が続き、11日目を終わっても5勝6敗だった。そして12日目、大関同士の対戦で、琴桜とぶつかったが、明らかに琴桜は星を譲ったのか、あっさりと土俵を割った。
この一戦に、できたばかりの監察委員会は「無気力相撲ではないか」と2人を注意し、前の山は翌日から休場、大関から陥落してしまった。前の山の大関在位はわずか10場所だった。そのうち5場所連続で8勝7敗が続いたので、「ハチナナ大関」と呼ばれた。
※この映像は、注射名勝負の当該取組ではありません。
その2年前、1970年名古屋場所、前の山が関脇の時の対琴桜戦です。
(当該取組の映像は見つかりませんでした)