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File - 5 《1970年1月場所 北の富士 vs 玉乃島 優勝決定戦》

北の富士vs玉乃島1970決定戦.tiff 1970年1月場所で横綱になった北の富士だが、この横綱昇進の立役者は、当時、彼のタニマチであり後援会副会長であった故・橋本成一郎氏と、高鉄山(故・大鳴門親方)や、栃王山、陸奥嵐(元安治川親方)、故・龍虎らの若手下位力士たちだった。彼らは1969年の11月場所で優勝した北の富士を、2場所連続優勝させて横綱にしようと画策した。

 この場所での注射は、俗に「星回し」と呼ばれるもので、高鉄山らは北の富士と対戦する力士らにわざと負け続けたのである。こうすると、その力士は北の富士との対戦で、星を返す(転ぶ)ので、北の富士は勝ち続けることができた。

 2日目にガチンコの福の花(現・関ノ戸親方)に負けはしたが、千秋楽前まで1敗を守り続けた。

 ところが、千秋楽の相手は、2敗で来ていた玉の海(場所中は玉乃島)だった。

 「実力的には玉乃島の方がはるかに上。ガチンコで行くと、本割でも決定戦でも負けて優勝をさらわれてしまう。玉乃島は前場所10勝だったが、今回優勝決定戦で負けて13勝2敗の準優勝なら横綱昇進の可能性がある。それを口説き文句にすることになった」と、故・橋本氏は証言している。

 このシナリオを、玉の海は受け入れた。玉の海は本割で北の富士に勝ち、決定戦ではあっけなく負けた。それもそのはず、この2番は決まり手まで決められていた。本割は、吊り出し、決定戦は外掛けで、2人はこれを見事に演じきり、横綱に同時昇進した。

注射名勝負、昭和45年初場所・千秋楽、北の富士 vs 玉乃島、『本割』

注射名勝負、昭和45年初場所・千秋楽、北の富士 vs 玉乃島、『優勝決定戦』

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