第6回 1998年の改革は骨抜きに! 年寄株の売買をめぐって大もめ
かつて年寄株の生み出すカネに関して、ついに税務署がメスを入れたことがあった。1996年7月に発覚した二子山親方の年寄株取得にからむ3億円の所得申告漏れ事件である。
先代の花田勝治氏(元相撲博物館館長)から、実弟の現・二子山親方に名跡が継承された際に、本来は売買の対象でないはずの年寄株が3億円で売買されたうえ、税務申告されていなかったと追及を受けたのである。
これを契機として、協会がなんとかしなければと改革に乗り出したのも無理はない。
当時の境川理事長(元佐田の山晋松)は、大胆な改革案を打ち出した。その骨子は、「年寄名跡の協会帰属」と「年寄名跡の売買禁止」という内容で構成されていた。
しかし、この改革案は、1年7カ月にわたる討議後、完全に骨抜きにされた。改革案が出されるやいなや理事会は大もめにもめ、親方連中が次々に反対したからである。しかも、それまでは話し合いによって無投票で決まっていた理事の改選も、史上初の選挙となり、反鏡川包囲網ができてしまった。つまり、「欲の皮がつっぱった」親方連中にとって、年寄株のウマ味を放棄するなど、断じてできなかったわけだ。
1998年1月31日に実施された役員選挙に伴う理事選挙は史上初めて投票となり、境川理事長の退任と時津風理事長(大関・豊山勝男)の新任というトップ交代、協会ナンバー3であった陣幕広報部長兼巡業部長(横綱・北の富士勝昭)の退職、さらに高田川新理事が高砂一門から破門されるという大騒動へと波及した。
こうして、境川理事長は退任し、時津風親方(元豊山)が新理事長となり、1998年4月に、最終結論が出た。「年寄名跡の所有者と使用者」の情報公開、新たな年寄名跡の賃借禁止(借り株禁止令)と複数の年寄名跡取得禁止、その代償として準年寄制度の新設というのが、この結論だった。
1998年5月1日施行の「年寄名跡の新制度 」は、以下のような内容である。
- 1)年寄名跡の所有者と使用者、名義変更について情報公開を行う。
- 2)新たに年寄名跡を貸し借りすることはできない(借り株禁止令)。
- 3)年寄名跡を複数所有する者は、5年以内に他の者に継承させる。
- 4)襲名条件として、次のいずれかの条件を満たす必要がある。
- 1)横綱または大関
- 2)三役(小結以上)1場所以上
- 3)幕内通算20場所以上
- 4)十両と幕内通算30場所以上
- 5)例外規定として相撲部屋継承者と承認された場合、次のいずれかの条件が適用される。
- 1)幕内通算12場所以上
- 2)十両と幕内通算20場所以上
- 6)空き名跡がない場合の優遇措置
- 1)大関は年寄として3年間在籍
- 2)三役以下は準年寄として2年間在籍、準年寄の定員は10名以内
この新制度では、いちおう「年寄株の取得や借株は禁止」されたものの、最大の問題点である金銭売買には一行も触れられていなかった。
年寄株は、所有者を協会に届けることは決まったが、高額売買に対する規定や罰則は一切決められなかったのである。