File - 6 《1975年3月場所 優勝決定戦 貴ノ花 vs 北の湖》
「優勝決定戦に弱い」と言われた北の湖だが、多くは転んでいた。この場所も、千秋楽前までに、大関の貴ノ花(元二子山親方、2005年死去)が13勝1敗、北の湖が12勝2敗できていたので、千秋楽の本割りと優勝決定戦を勝てば北の湖の優勝だった。
結果は、結びは北の湖の勝ちで、優勝決定戦は貴ノ花の勝ち。
『週刊現代』訴訟におけるジャーナリスト武田頼政氏の陳述書の中で、藤田憲子さん(元二子山夫人)は、大阪の祝勝会会場に駆けつけると、夫から「400万円用意してくれないか」と言われたと証言している。その理由は、千秋楽前に夫が、「『先代から星は手当てしたのか』と言われたので、それはしていないと答えたら、やっておけといわれたそうでした」とのことだ。
貴ノ花は、「角界のプリンス」と呼ばれ、大相撲史上屈指の人気力士だった。若貴兄弟の父であるのは言うまでもない。
注射名勝負、昭和50年3月場所・千秋楽、貴ノ花 vs 北の湖、『結びの一番』&『優勝決定戦』