第6回 ブックメーカーもまっ青の千代の富士の優勝 - その2 〈場所前から優勝力士はわかっている〉
ほとんどの場合、優勝力士は場所前にわかる。それは、その場所がどんな場所になるか考えれば、専門家の予想などよりはるかに高い確率で、読み切ることができる。英国ブックメーカーが、千代の富士の病み上がり優勝を予想できず、高いオッズを付けてしまったのは、相撲をスポーツだと思い込んでいたからだ。
1990年の九州場所。そこに隠されていたのは、大横綱・千代の富士の野望以外になかった。すなわち、彼は、角界のあらゆる記録に挑戦することを目標とし、その達成に着々と迫っていたからだ。最多優勝回数記録(大鵬32回、千代の富士30回)、全勝優勝記録(大鵬8回、千代の富士7回)などでレコードを達成すれば、その後の自分がどんなステイタスの中で生きていけるか、彼ほど知っていた男はいなかった。その点では、千代の富士は頭のいい力士だった。
さらに、これを後押しするように、九重一門には〔伝統の出羽海部屋の最多優勝回数4949に追いつき、追い越せ〕という悲願もあった。(このとき九重一門の優勝は、千代の富士30、北の富士10、北勝海6の計46回)
これだけの力学(モーメント)が働けば、どういうシナリオになるかはほぼ明らかだろう。
ところが、場所前にマスコミが話題にしたのは、千代の富士欠場の夏場所と秋場所の二場所を連覇して横綱に昇りつめた旭富士のV3だった。相撲専門誌も「今回は旭富士が断然有利 ----- 横綱になって相撲が変わった。力強さ、豪快さが出てきて、このままいけば隆の里以来の新横綱の全勝優勝が期待できる」と書きたてる始末だった。
病み上がりの千代の富士の評価は以外にも低かったのである。
ブックメーカーのハンディキャッパーが、こうしたムードをそのままオッズにしたとは信じがたいが、事実、発表されたオッズは、千代の富士が5倍、朝旭富士が2.8倍で一番人気だった。一番人気、旭富士の危険性は、この場所のシナリオを事前に読めば、ありえないことだった。
つまり、旭富士は横綱になるために、夏、名古屋の二場所で星を借りまくっていたのだから、この九州場所は、いま思えば星の返済場所だったわけである。
こうして〔既定の事実〕ともいうべき千代の富士の復活優勝はなった。それを暗に裏付けるデータもあった。
次の表を見てほしい。これは、千代の富士の休養・故障明け後の成績一覧表である。
[千代の富士の休養・故障明け後の成績] 1990年11月場所前まで
- 1981年11月場所 12勝3敗 優勝
- 1983年7月場所 13勝2敗
- 1984年9月場所 10勝5敗
- 1986年5月場所 13勝2敗 優勝
- 1987年11月場所 15戦全勝 優勝
- 1988年5月場所 14勝1敗 優勝
- 1989年7月場所 12勝3敗 優勝
左ヒザじん帯損傷、左肩脱きゅう、右股関節捻挫、腰背挫傷といったスポーツ選手(?)としては致命的な故障をくり返しているのにもかかわらず、休養・故障明け場所は、なんと7回中5回も優勝しているのである。もうこうなれば、場所前から彼の優勝の可能性は十分に見えてくる。しかも、対抗馬の旭富士に前記した星の返済事情があり、同部屋の横綱の北勝海の援護射撃があったのだから、オッズの5倍は、間違っていたとしか言いようがない。
この後、ブックメーカーの優勝力士当てオッズはかなり変動した。
しかし、彼らとてバカではない。相撲というのは、競馬やほかのスポーツのように直前の試合結果、好不調などに関係ないことに気がついた。相撲にはなにかカラクリがある。そう思ったブックメーカーは、ある時期から掛け金に上限を設定してしまった。それまではほぼ上限なしだったのに、1つのベットを1万円までとしてしまったのである。