File - 10 《1991年9月場所 平幕・琴錦が復活の初優勝》
琴錦は「史上最強の関脇」と言われ、実力は大関級だった。しかし、大関取りは不運も重なって2回とも失敗している。琴錦の後にも先にも、平幕で2回優勝した力士はいない。そんな琴錦が初優勝したのが、1991年の9月場所だった。
1990年の11月場所で関脇に上がった琴錦は、大関の霧島、小錦、横綱の旭富士を破るなど大活躍したが、3月場所前に女性問題が発覚。マスコミから『さまよえる下半身』という不名誉なニックネームを付けられた。この事態に、日本相撲協会は、琴錦と佐渡ヶ嶽親方に対して譴責処分を下し、「相当の好成績を挙げない限りは大関昇進はありえない」と突き放した。
琴錦は11月場所10勝5敗、1月場所11勝4敗ときていたが、3月場所は9勝6敗に終わって、大関昇進の初の好機を逃してしまった。
その後の5月場所は、8勝7敗。7月場所は場所中に左足首を痛める不運もあり4勝11敗と不本意な成績で、とうとう関脇から陥落してしまった。(ちなみに、この場所は同部屋の兄弟子琴富士が平幕優勝している)
関脇陥落後、佐渡ヶ嶽親方は、琴錦にしばらくの間故郷に帰っての休養を命じた。
こうして迎えたのが、9月場所で、前頭5枚目に落ちた琴錦は貴花田、若花田には敗れたものの2敗で千秋楽まで勝ち進んだ。千秋楽の相手は、すでに勝ち越しと技能賞獲得が決まっていた舞の海。舞の海を破れば優勝とあって、琴錦は注射を持ちかけた。
関係者によると、このときの一番は「100万円と星の回しというダブルの条件だったので、舞の海は受けました。舞の海にとってすでに三賞受賞が決まっていたので断る理由がありません」とのこと。ただ、ガチンコでも問題なく勝てたはずだが、「初顔合わせなので、念のための注射だった」という。こうして、琴錦の初優勝は成ったのである。
この関係者の言葉を裏付けるのが、その後、琴錦の舞の海に対する成績だ。通算で琴錦の3勝4敗(○●●○●●○)である。実力からしたら、こんなことは起こりえない。というのは、琴錦はガチンコ安芸乃島との対戦成績で通算39勝9敗としているが、舞の海は安芸乃島に4勝3敗と五分の星しか残していないからだ。
安芸乃島にほとんど負けない琴錦が舞の海に負け越すというのは、どこから見ても不自然だろう。
このようにガチンコ力士との対戦成績は、判断材料として大いに役立つ。
琴錦は、その後、昇進よりも星を売るほうを優先し、横綱・曙に何度も星を売ったのは有名な話である。
ちなみに、以下が琴錦、安芸乃島、舞の海の通算成績である。舞の海は実力からいって、この2人にまったく及ばなかったのは、一目瞭然である。
琴錦 506勝441敗 優勝2 殊勲7 敢闘3 技能7
安芸乃島 647勝640敗 殊勲7 敢闘8 技能4
舞の海 385勝418敗 殊勲0 敢闘0 技能5
注射名勝負、平成3年秋場所・千秋楽、琴錦の初優勝(vs 舞の海)