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File - 9 《1995年11月場所 千秋楽の若・貴兄弟対決》

1995若・貴兄弟対決.tiff 貴乃花と若乃花は、ほかの力士に星2つの差をつけ千秋楽に突入。優勝決定戦で若貴対決が観られるのではないかと思われた。しかし、本割で若乃花、貴乃花両者ともに敗れ、史上初の兄弟による優勝決定戦になった。

 このとき、貴乃花は前場所まで4連覇中だったから、当然、弟のほうに歩があると、誰もが思った。ところが、貴乃花は四つに組んだ後にまったく攻めず、若乃花の下手ひねりに簡単に敗れた。

 取り組み後、当然のように「八百長ではないか」という声が上がった。

 一部の週刊誌は、千秋楽の前夜、二子山親方が宿舎の貴乃花の自室を訪ね、「光司(貴乃花)、明日はわかっているだろうな」と、暗に優勝を譲ることを求めたと報じた。また、本割で若乃花が敗れたため、貴乃花・武蔵丸戦を前に二子山親方が再度「わかっているだろうな」と念を入れ、兄弟対決をアシストさせたとも報じた。

 もちろん、この一番は八百長ではない。

 いや、弟が兄に優勝を譲ったのだから、片八百長と言えなくもないが…。貴乃花は正直な性格なので、引退後にふり返って「やりにくかった」と発言し、これが八百長を認めたと誤解を招いて問題化したが、問題化するほうがおかしかった。

注射名勝負、平成7年11月場所 千秋楽の若・貴兄弟対決


【管理人:淡水魚、付記】

 若・貴の兄弟対決より前、1993年に、ボクシングの日本タイトルマッチでも兄弟対決がありました。ストロー級(当時の名称)、江口九州男(くすお)選手(兄)と、江口勝昭選手(弟)の対戦です。

 同じジム(角海老宝石)所属でかつ兄弟対決という、異例も異例の試合で、兄の九州男選手のKO勝ちでしたが、ボクシングは基本的に殴り合い、そんなこと兄弟でとことんやれるわけねえだろう、という印象の試合でした。そもそも2人は互いの顔(目)を見ないようにして闘っていました。私は当時2人を取材する機会があったのですが、「目を見ないようにして闘った」と2人ともはっきり言っていました。でも凡戦では決してなく、九州男選手が使ったコーナーにつまった状態でのロープワークなどはたいへん見事でした。

 ほどなくして別の機会に、日本タイトルの連続防衛記録を作ったジュニアミドル級の上山仁選手と、エディ・タウンゼント賞受賞の積田進トレーナーを取材する機会があり、江口兄弟の試合について尋ねたところ、「絶対にやってはいけない試合だった。弟は兄に勝てない。兄弟で試合をしたら、心がこどものころに帰って、弟はワンワン泣きながら両腕を振り回して兄に向かっていった時の心理状態になる」。これは非常に印象に残りました。

 ボクシングと相撲では違うのでしょうけれど、若・貴兄弟対決を見て、積田さんが言っていたことを噛みしめるように思い出したのを、覚えています。

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